夕刊フジ(2018年8月13日号)掲載

2018年(平成30年)8月13日発売

夕刊フジ(2018年8月13日号)

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古川裕倫の「いろどり徒然草」2018年 新年号

明治150年、明けましておめでとうございます。

突然ですが、「明治に生きた人や明治に生まれた人と直接話をしたことがありますか?」

63歳の私は子供の頃に、明治27年生まれの祖父とよく話をしていた。
「信号」ではなく「シグナル」と呼び、モダンなことを「ハイカラ」と言っていた。

今から50年後の明治200年には、明治150年より「明治」をもっと大きく取り上げるであろうが、その時点で明治人を直接知っている人はほとんどいなくなっている。

そういう意味で、今、明治150年としっかり向かい合いたい。相撲界、不倫などのスキャンダルばかりを追いかけていないで、テレビも明治150年を取り上げて欲しい。

私はNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」を楽しみにしている。西郷についても興味があるが、その周りの人々についても知りたい。主役の鈴木亮平は、ホリプロ所属。東京外大卒で、英語も堪能、読書にも熱心である。

幕末。産業革命で実力をつけた欧米列強が、軍艦を率いて来航し、鎖国下の泰平の世を揺るがした。結果、日本は、幕府側と反幕府側(薩長など)に大きく2つに分かれ対峙する。ここで活躍するのが西郷隆盛であり、彼の人間力が評価される。

西郷隆盛の活躍を拙著「タカラヅカを作った小林一三と明治人たちの商人道」から抜粋し、3回に分けてご紹介したい。

【西郷隆盛(その1)】

西郷隆盛は文政10年(1827年)薩摩生まれ。幼い頃、儒学者佐藤一斎(さとういっさい)門下の伊東猛右衛門(いとうもえもん)に陽明学を学んだ。

西郷は36歳の頃、藩主の怒りを買って沖永良部島に島流しになり、牢獄生活をした。その時、同じ島に流されていた陽明学者からも教えを受け、中江藤樹や熊沢蕃山などについてよく語り合った。「人は俗世を相手とせず、天に向き合え」と学んだ。目先の損得や地位が人生の目的ではない。天はすべての人を平等に包み、愛しんでくれる。天と同じように、損得や地位を求めるのではなく、正義を貫くのが人の道だと知る。

この流刑時代に「敬天愛人」、つまり「天を敬い、人を愛する」という信条を持った。

その後、流刑を許されて藩に戻り、薩摩軍を指揮して江戸幕府を倒すリーダーとなった。江戸を火の海にせぬよう、山岡鉄舟や勝海舟と折衝して「江戸城の無血開城」を果たした。

その後も東北雄藩が幕府側について抵抗したが、それらも西郷が鎮圧した。鎮圧に際し、西郷は相手に武士としてのおおらかな対処をした。これについてはのちに述べる。

西郷は、明治新政府の重鎮となったが、朝鮮半島への進出について新政府要人と意見を異にして、新政府から下野した。

薩摩に戻って学校を作り、次世代の教育に当たろうとしたが、時を同じくして西郷のもとに不平武士が集まってきて、結果「西南の役」となった。

西郷は戦の前に、一通の手紙を明治政府に送っていた。「今般、政府へ尋問の筋これあり」と「政府に言いたいことがある」とだけ書いた。

西郷が言いたかったのは、「武士たちもかわいそうではないか。武士も時代を目一杯生き、努力をした人間ではないか」ということであった。

身分の分け隔てなく万物に対する愛、すなわち「仁」を貫こうとした。

西郷の周りにいる武士たちも含めてすべて愛する価値のある者たちであるとの渾身の叫びであった。

そして、明治新政府と反逆軍として戦った「西南戦争」のリーダーとなってしまった。

(つづく)

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古川裕倫の「いろどり徒然草」7月号

人は死に方は選べないが、生き方は選べる
~危機をチャンスに変えた男たち~

あれから6年4ヶ月。
 
東日本大震災でほぼすべてを失った気仙沼の水産加工メーカーが、驚くべき速さと決断力で再建を果たし、明るい未来を築こうとしている。志高く、熱い思いを持ったビジネスリーダーたちから筆舌に尽くせないような大きな感動をいただいた。

この6月4日・5日、中井ビジネスコンサルコンサルタント(東京都千代田区、中井英一社長、69歳)の特別企画として、勉強会会員が気仙沼を訪れた。私も参加させてもらった。中井氏の東京での月例勉強会には、50−80人が参加しており、今回の気仙沼ツアー企画には26名が参加した。このように人が集うのは中井氏の人脈の広さと、人間力の高さが理由。わかりやすくいうと、笑顔のいい熱血オヤジである。

中井氏は、もともと三井物産に勤務していたが、縁あって、株式会社オークネット(東京港区、藤崎清孝社長)に転職、同社副社長を15年勤めた。

中井氏は生家が津波で完全に流されてしまった故郷気仙沼に貢献すべく、震災後すぐにオークネットを退社し、まだ交通が遮断されている頃から気仙沼に足繁く通った。なんと今日まで東京・気仙沼間を何と85回も往復している。

気仙沼には、地元の優れたリーダーたちがいた。東日本大震災で壊滅的打撃を受けた水産加工メーカー19社が気仙沼鹿折(ししおり)加工協会という組合を立ち上げた。

理事長の川村賢壽氏(株式会社かわむら代表取締役、67歳)と副理事長の臼井弘氏(福寿水産代表取締役、66歳)が中心人物。お父様同士も地元で同じ鰹節のビジネスをされていて、川村氏と臼井氏は幼い時からの顔見知りであった。その後、川村氏はワカメやイクラの加工メーカー、臼井氏はフカヒレメーカーとして事業を開始し親交を深めた。津波直後はどちらも事業再開を一時はあきらめていたが、川村氏は、イクラの原料である鮭が収穫される10月までに、複数の施設を修復・新設することを決意した。意気消沈していた臼井氏を勇気づけ、ともに手を取り合って再建しようと誓った。所謂「戦友」である。

かわむらは、震災前に気仙沼と「奇跡の一本松」で有名な隣町の陸前高田に合わせて26か所の生産・貯蔵施設を持っていたが、そのうち22の施設を失った。損失金額は80−100億円という。

再建準備を進める障害は、冷蔵庫の在庫であった。震災直後に2割ほどの従業員が気仙沼から他の地域に引っ越していったが、かわむらに残った社員たちは会社の復帰に大きな期待をかけていた。電気が来ない冷蔵庫では、魚が腐り異臭が立ち込める中で清掃作業をしなくてはならない。冷蔵庫から仮事務所に戻ってくる社員の体からも強烈な匂いがする。2ヶ月間もひたむきに清掃してくれた社員に川村氏は、心から感謝した。

我々がお邪魔をした新しい施設は、とにかく綺麗で機械設備も鏡代わりに使えるほどピカピカに掃除されている。従業員は礼儀正しく、親切。5S(整理・整頓・掃除・清潔・躾)がしっかりと効いていると感じる。

川村氏は、講演の中で一冊の本を紹介された。ガンで闘病中のオークネットの創始者藤崎真孝氏が残した「正見録(しょうけんろく)」という経営の要諦を綴った本であった。例えば、社員の信条として「易きになじまず難きにつく」(楽な道と困難な道があれば、困難な道を行け)、経営者の信条として「事業とは顧客の創造なり、人に喜ばれてこそ会社発展する」など。川村氏はこれらの言霊を心の支えとして困難を乗り越えてきたという。オークネットは災害直後からCSR活動の一環として多くの社員を気仙沼に派遣していた。

大変僭越ながら、最近の多くの日本企業は「あまえ、ヌルマ湯、ポアーンの如し」であると私が(偉そうに)申し上げているが、この日はまったく違う企業を拝見した。川村氏は笑顔が素敵ではあるが、目力がある。危機を乗り越える勇気と信念を持った本気のリーダーである。偉そうにしている大会社の安物の社長とわけが違う。「ポワーン」としている会社とは違う。哲学がある。志の高さが違う。そして決定的に違うのは「危機感」。

かわむらの会議室には、「社員の条件」という掲示がある。その項目の中にこうある。「挨拶、当たり前のことを徹底して身に付けよ。挨拶できなくて一人前になれるわけがない」「整理整頓、上手な整理整頓が仕事の生産性と能率を向上させる」。さらに「以上のことができて初めて社員の資格あり」とある。

立派な会社は、社員教育をきちんとしている。従業員指導が徹底していて、ちゃんとモノが言えている。

「会議に出たら必ず発言、沈黙は「禁」なり」とユーモラスな掲示もある。部下も人前でモノ言える人となるべし。

その他、もっと多くの会社や個人がこの気仙沼のプロジェクトに直接・間接的に貢献されているが、この紙面の事情でご紹介できないのが残念。

冒頭の「死に方は選べないが」とは、今回の震災のように自分の意思とは全く別の理由で亡くなる人もあるという意味。しかし、どう生きるかは本人次第。深い言葉である。

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古川裕倫の「いろどり徒然草」4月号

自己開示のすゝめ

「自己開示が大事である」とは、手品師マギー司郎さんの教えである。

数年前、彼が子どもに手品を教えるのをテレビで見た。2日間かけて、子ども達は手品をマスターしていく。1日目の終わり、マギーさんは子ども達に「家に帰ったらお父さんとお母さんに自分のダメなところを聞いて来る」という宿題を出した。そして翌日、宿題をしてきた子ども達に、次のような話をする。

「自分が手品をする時には、まず初めにクラスメイトの前で、例えば”宿題をすぐにやらない”とか”食べ物の好き嫌が多い”などと話すんです。そうすると何が起こるかというと、手品をやる側と見る側の心の距離がぐっと縮まる。そうやってから手品をするから、ワッと受ける。だから自己開示というのは、とても大事なことなんですよ」

1ヶ月後ぐらいに彼のステージがあるというので、私は自分の目で確かめてみようと観に行くことにした。まず出てきたのは、Mr.マリックさんだった。車が出てくるような、すごい手品を披露してみせる。その次が、マギー司郎さんだ。ふらふらと舞台袖から出てきたと思えば、マイクに頭をぶつけて笑いをとる。早速簡単な手品をするも、失敗。会場がどっと沸く。そして、「最近よく女房に叱られるんです。後1回だけ、チャンスをください」と言って、もう1度手品をしてみせる。先ほどよりも遥かに難しい手品を、今度はズバッと鮮やかに成功させる。会場が、割れんばかりの拍手に包まれる。心を一にするプロの技に、私は大変感銘を受けた。

私もそうであったように、仕事をしていると、つい知らず知らずのうちに背広の上に「甲冑」を着るようになる。失敗談や欠点はできるだけ外に出さないようにして、身を守る。しかし、先の例のように、その場のコミュニケーションを良きものとしたければ、本来「甲冑」などは必要ない。

「立志塾」でも受講生同士まずは自己開示をすることから始めているが、そうすると、毎回「悩んでいたのは自分だけじゃなかったんだ」との声が聞こえてくる。誰しも悩みは持つものだ、と分かるのは大きい。そこから初めて、肩ひじを張らないコミュニケーションが生まれていく。

イノベーションを起こしたりダイバーシティを推進していくにも、自己開示はいい潤滑油となる。多様なアイディアを集めそれを活かしていくためには、立場・目線を同じくし、ざっくばらんに話ができることが必要だ。確かに、日本は文化的にも「暗黙の了解」を好む傾向にあるし、仕事をする上で逐一全てを話したり聞いたりしていては効率は上がらない。しかし、もう少し肩の力を抜いてお互い話ができたら、もっと解決できる課題も多いのではないか。年齢や役職や性別などバックグランドの違いを越え、より身近から語り掛けてくる相手の言葉に、人は共感したり突き動かされたりする。

「立志塾」に登壇いただいているゲストは、いずれも経営者や役員など企業トップとして手腕をふるわれてきた方々だ。「今」だけに焦点をあてると華々しいが、誰しもがそうであるように、紆余曲折を経ての「今」である。登壇いただく度、そうした過去の紆余曲折を含め受講生に対して爽やかに自己開示をされるから、さすがだ。「生き方」「働き方」について、失敗談を交えながらも、説得力のある惹きつけられるお話しぶりである。

ゲストの1人である石村弘子さんは、外資系IT企業の日本代表をされている。新卒で入社した銀行を3年で辞め、その後専業主婦として10年間アメリカで暮らした。帰国後、仕事については0からの再スタートだったが、色んなご苦労を経て現在に至る。そうして振り返ったご自身のキャリアを、最後は「振り返れば一本道」とまとめられている。一見繋がりがないように見える人生の経験も、実はどこかで繋がっている。まっすぐでもジグザクでも、自分が歩いてきた人生の軌跡は一本である。仕事があるということはありがたいことである。そして、仕事は面白い。

受講生のほぼ目の前という位置で、まさに「ざっくばらんに」ご自身について語っていただくお話からは、人生の選択肢が一つでないことを教えられる。そしてそんなお話を、受講生は我が身と重ね合わせながら聞く。それから最後はやはり、「ざっくばらんに」質問をする。

結婚・出産・育児・介護・伴侶の転勤等、特に女性にとっては、キャリアは複雑に見えるかもしれない。しかし、自己開示によってそれぞれが抱える問題を共有し合ったり一緒に解決策を探したりしていると、複雑な問題もだんだんとシンプルになっていく。

甲冑を脱いで集まってくるのは、敵よりも味方の方が多い。

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古川裕倫の「いろどり徒然草」3月号

企業改革について

先日、「水上温泉を創生したニュージーランド人~よそ者・ばか者・若者が地域を変える~」と題して、マイク・ハリスさんによる講演会を開催した。主催は「一般社団法人彩志義塾」と「世田谷ビジネス塾」。その様子はこちらから(短い動画もあり)。
http://saishi.or.jp/201703011339.html

地方も同様であるが、企業も変化していかなければいけない。「のんべんだらり」と過去と同じことを続けていては、激動の時代においていかれる。技術の進歩、人口減少などの社会構造の変化、通信・輸送の進化、競合の進出など、企業をとりまく環境は刻一刻と変わってきている。その変化に対応できない会社は、「ゆでガエル」となってしまう。

何度も申し上げて恐縮ながら、変わろうとすると必ず現れるのが、反対勢力である。これは、過去をそのまま踏襲している時には出てこない。ジョン・コッターの「かもめになったペンギン」(ダイアモンド社)に出てくる「ノーノーペンギン」である。

私は、在日米国商工会議所のメンバーで、同会議所が主宰する講演会や勉強会によく足を運ぶ。2000社を超えるメンバーがおり、3分の1が米国の会社、3分の1が日本の会社で、後はそれ以外の国々の会社。普段聞けないようなビッグネームのスピーカーもよく登壇する。そんな同会議所でよく話題になるのが、イノベーションや変化への対応についてである。多くの外国人登壇者が、「日本人は変わらない」「日本は変わらない」と指摘する。残念なことである。その上、聞き手の外国人はもちろん、参加している日本人ですら「フムフム」と首を縦に振っている。「明治維新など、日本が大きく変わった時代もある。武士200万人をクビにしてまで変化に対応したこともあるのに」と、そんな状況を見て私は内心憤りを覚えることもあったが、確かに現代については、危機感が薄く、蛮勇を奮っての変化への対応が乏しいことは認めざるをえない。

職業としている者が言うのもおかしいが、研修にもイノベーションが必要だと思う。長年相も変わらぬ研修をし続け、イノベーションらしきことはあまりやらない。例えば、日本型ワークショップという古式泳法がある。良いところもあるが、時代にあっていないところも多い。

(1)4−6人の小グループに分けて議論をさせ、発表するという形式。
(2)スキルを磨くことや学ぶことにこだわる割には、成果が出ない。
(3)研修慣れしている受講生が多く、「知識として知ってはいるが、行動できていない」

紙面の限りがあるので、今日は、上記の(1)について考えたい。

少人数でグループを作って議論するのは、確かに意味はあると思う。
(1)大人数より、少人数の方が発言しやすい。
(2)グループ毎になんらかの結果が出る。

しかし、こればかりでは過保護だと思う。

「ナビゲーターと書記と発表者を決めてください」、「結論と~を模造紙に書いて、発表しましょう」などは、幼稚園児に言っているようだ。必ず何かの結論が出て発表してくれるのであるから、「講師にとって」は非常に「楽」ではあるが。

本当に、この従来スタイルがベストなのだろうか。

時には全体議論も必要だと思う。少し前に流行ったハーバードのサンデル先生の「白熱教室」スタイルである。すなわち、1対Nの議論。

会社での実際の会議は、全体議論か、1対Nの会議である。グループ分けして議論するなど、ありえない。失礼ながら、古式泳法と言いたい。会議でモノ言わぬ参加者は、それまでである。会議が済んでから言っても誰も聞いてくれないのが、大人のルール。自分の意見を自ら挙手して言う人が、これから必要となる。だから、同じ研修をするなら、自ら挙手して自由に発言して学ぶことである。どうせ研修なのだから、トレーニングの意味で失敗すればいい。

もちろん、そうなったら講師は大変である。意見が出すぎればまとめるのに収拾がつかなくなるだろうし、一番困るのが、意見が出ない時である。少人数方式なら、個別議論をする、まとめる、模造紙に書く、発表する、議論するなど1時間や2時間は、「もつ」。しかし、意見が出ない時は、10分も持たない。

では、どうすればいいか。

アイスブレークができるよう準備をしておく。議論を引き出すテクニックを持つ。議論に引きつける人間力を身につける。それでも意見が出ない時に備えておく必要もある。豊富な事例を用意して、参加者に説明して意見を出させる。たくさんの質問を考えてきてぶつける。脱線するような答えが来ても、しっかりと受け答えをして、進行できなければいけない
。難しい質問が飛んできて分からない場合は、素直に「分からない」と答える勇気を持つ。

「パワーポイントを読み上げるだけ」や、「古式泳法の少人数の議論」なら、専門講師はいらない。

安全運転を望む会社も多いらしい。「研修をしている」という実績が大切であり、受講者アンケートで無難な回答が得られれば、それで良しとする組織もある。

社員教育が大切なことは言うまでもないが、受講者にとって本当にためになる研修にも、上記のようなイノベーションが必要であると思う。

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