古川裕倫の「いろどり徒然草」2018年 4月号

竜馬に学ぶビジネスの要諦(その1)
ー大きな目標と「浪漫」を持とうー

司馬遼太郎さんの長編小説『竜馬がゆく』(文春文庫)はこれまでに2000万部以上も売れたといい、今でも多くの書店でメインスペースを占めている。

『竜馬がゆく』は、痛快な青春物語であるだけでなく、その中にビジネスに役立つ数多くのヒントがある。『坂の上の雲』と並んで多くのビジネスパーソンの座右の書であるという。

『竜馬がゆく』に描かれた竜馬や竜馬を取り巻く人物の行動や言葉を引用して、ビジネスに活用できる部分を彩つれづれ草としてご紹介したい。

本来は、竜馬の若いころのエピソードから時系列的に紹介すべきであろうが、ビジネス的な観点から、竜馬の最大の功績について最初に見てみたい。

1、「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」とは、ドイツ帝国初代宰相ビスマルクの言葉だ。
 
職場で部下に経験論を振り回しがちな上司に対して、同じ土俵だけで議論する必要はない。むしろ、「『竜馬がゆく』はおもしろいですね」「竜馬の志はとても大きいですね」とサラッとかわして、自分の部署の目標や大局観を議論してみるのはいかがであろうか。

2、「生まれてきたからには大事を成し遂げたい」

土佐の下級武士が後世に語られ書籍や映像になるのは、よほどの大人物であり、大きなことを成し遂げたからだろう。今流に置きなおすと、「人間的魅力の非常に高いリーダーが近代日本社会に貢献するような大きな実績を残した」と言えよう。

しかも、その生涯はわずか32歳。薩長同盟と大政奉還をやってのけ、西洋列強から日本の独立を守ったと言っても過言ではない。これが竜馬の最大の功績である。

以下は、物語の中で何度も解説され、竜馬自身の言葉としても出てくる哲学である。

「生まれてきたからには大事を成し遂げたい」

私の考える司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』のテーマは、「大事をなすこと」であり、それは『坂の上の雲』でも同じだと思う。

大事を成したいと思っても、たやすくできるものではない。まずは、大志をもち、自分の行くべき道を決め、大勢の人の心をつかんで人を動かすこと、そして時流を読む能力などが備わって初めてできることである。運良く事を成すこともないではないが、やはりそれなりの強い思いと能力がなければ、普通はできない。

つまり、大きな目標設定ができ、高い判断力・決断力を持ち、人間力・リーダーシップ・コミュニケーション能力を備え、そして何よりも高い行動力を持ち合わせることが必要となる。

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古川裕倫の「いろどり徒然草」2018年 3月号

明治150年 3月号

【西郷隆盛 その(3)おわり】

明治時代の浮世絵が錦絵と呼ばれる。当時錦絵は、ポスターであり、報道メディアであった。錦絵にも西南の役が描かれているが、西郷は反乱軍の長なのに、英雄として取り上げられていた。西郷のすべての人を愛する「仁」があることを人々は理解していた。

西郷自身は、中江藤樹や大塩平八郎のような学者ではなく著書もないが、戊辰戦争で西郷軍に負けた山形の庄内藩が西郷の言葉を綴った本がある。『西郷南洲遺訓』というタイトルで、明治23年(1890年)に発行された。

庄内藩は譜代大名であり、奥羽地方の徳川幕府の重要拠点でもあった。戊辰戦争においても、官軍と最後まで戦い抜き、最後に西郷軍に降伏した。

西郷は武士としての礼を重んじ、敗軍の庄内藩を手厚く遇した。藩主も藩士も謹慎程度の処分としたので、庄内藩は西郷の寛大さに大いに驚いた。また西郷軍の占領が長引くと、庄内藩に財政的な負担をかけることから、3日で全軍を引き上げた。

このこと以来、庄内藩は西郷を高く評価し尊敬した。

そして、明治2年(1869年)に庄内藩主酒井忠篤(さかいただずみ)以下70名の庄内藩士が、薩摩に下野していた西郷を船で訪ね、教えを受けた。

50ほどの西郷の言葉が綴られおり、陽明学を知る西郷の強い思いが書かれている。

「政治をする時は、天下国家のためにやること。ほんのわずかでも私情が入ってはならない」
「人が学ぶことの目的はだた一つ。敬天愛人を知ること」

西郷は、幕府側と反班幕府側、武士と民などの区別をすることなく、大きな心で人民を愛した。まさに陽明学の真髄である。

西郷については、大河ドラマに便乗してたくさんの本が出ているが、オススメ本はこれ。

(1)「人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ」(稲盛和夫、日経BP社)
西郷隆盛を尊敬する稲盛和夫さんが、南洲翁遺訓の解説に自らの経営経験・哲学を加筆した。ビジネスパーソンにとって参考になることが多い。第2回世田谷ビジネス塾ビジネス書大賞候補書籍。

(2)「南洲翁遺訓(100分で名著)」(先崎彰容、NHK出版)
Eテレ教本。南洲翁遺訓をかいつまんで知りたい人によい。

(3)「西郷隆盛 人間学」(神渡良平、致知出版社)
西郷の人生をじっくり学びたいという人に。読み応えあり。

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古川裕倫の「いろどり徒然草」2018年 2月号

明治150年~2月号~

西郷隆盛は幕末の儒学者である佐藤一斎を大変尊敬していた。西郷は、薩摩の若手にも陽明学を学ばせ、京都の春日潜庵(かすがせんあん)へ留学させた。

「今時のものは、理屈は立派であり、弁も立つ。しかし、行動が伴わない。実行の大切さを学んできなさい」と言って送り出した。すなわち、知行合一(ちこうごういつ)である。

西郷は、佐藤一斎が残した1133の言葉(言志四録)のうち101を抜き書きし、死ぬまで肌身離さず持っていた。

西郷は反乱軍のリーダーであったにもかかわらず、日本中の人から好かれていて、読み物や時代劇にも普遍的に登場している。

彼の考え方、生き方、人への接し方が、上下関係はもとより敵味方を超えても、等しく人を思う心「仁」に富んでいた。すべての人を愛する大きな「仁」があり、人々を包み込む大きな「器」があった。相手の身分や立場にかかわらず、人の言うことを聞く時は、正座をして大きな体をかがめて傾聴した。本当の武士の心を持った人間侍であった。

西南戦争は凄惨を極めたが、西郷はそもそも近代装備をした政府軍には勝てるとは思っておらず、「もうこれぐらいでよかろう」と言って自刃の時を知った。

明治10年(1877年)9月24日未明、西郷は明治天皇のいる東の方角に手を合わせ、最後を遂げた。その時、日本の多くの地で流れ星が見え、人々は西郷の昇天を知ったと言われた。



【お知らせ】

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 ○開講:第9期 2018年4月14日(土)~2018年9月1日(土)
 ○場所:ウィン青山2階E(「青山一丁目」駅5番出口より徒歩1分)
 ○講師:古川裕倫、上場会社女性役員、他
 ○主催:一般社団法人彩志義塾
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本プログラムでは、受講者の「やる気」と「自信」を引き出し、積
極的なチャレンジ精神と高いアウトプット力を兼ね備えた女性マネ
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<受講対象>

 社会人経験3年以上の管理職候補~幹部社員

<内容>

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 グローバルコミュニケーション、ダイバーシティ、
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 経営哲学、役員・取締役会、投資・M&A
 財務諸表、事業計画・数値管理、他

 ※取り扱いテーマは一部変更になる場合がございます。

 ▼詳細・お申込みはこちら
 http://saishi.or.jp/risshijuku.html

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古川裕倫の「いろどり徒然草」2018年 新年号

明治150年、明けましておめでとうございます。

突然ですが、「明治に生きた人や明治に生まれた人と直接話をしたことがありますか?」

63歳の私は子供の頃に、明治27年生まれの祖父とよく話をしていた。
「信号」ではなく「シグナル」と呼び、モダンなことを「ハイカラ」と言っていた。

今から50年後の明治200年には、明治150年より「明治」をもっと大きく取り上げるであろうが、その時点で明治人を直接知っている人はほとんどいなくなっている。

そういう意味で、今、明治150年としっかり向かい合いたい。相撲界、不倫などのスキャンダルばかりを追いかけていないで、テレビも明治150年を取り上げて欲しい。

私はNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」を楽しみにしている。西郷についても興味があるが、その周りの人々についても知りたい。主役の鈴木亮平は、ホリプロ所属。東京外大卒で、英語も堪能、読書にも熱心である。

幕末。産業革命で実力をつけた欧米列強が、軍艦を率いて来航し、鎖国下の泰平の世を揺るがした。結果、日本は、幕府側と反幕府側(薩長など)に大きく2つに分かれ対峙する。ここで活躍するのが西郷隆盛であり、彼の人間力が評価される。

西郷隆盛の活躍を拙著「タカラヅカを作った小林一三と明治人たちの商人道」から抜粋し、3回に分けてご紹介したい。

【西郷隆盛(その1)】

西郷隆盛は文政10年(1827年)薩摩生まれ。幼い頃、儒学者佐藤一斎(さとういっさい)門下の伊東猛右衛門(いとうもえもん)に陽明学を学んだ。

西郷は36歳の頃、藩主の怒りを買って沖永良部島に島流しになり、牢獄生活をした。その時、同じ島に流されていた陽明学者からも教えを受け、中江藤樹や熊沢蕃山などについてよく語り合った。「人は俗世を相手とせず、天に向き合え」と学んだ。目先の損得や地位が人生の目的ではない。天はすべての人を平等に包み、愛しんでくれる。天と同じように、損得や地位を求めるのではなく、正義を貫くのが人の道だと知る。

この流刑時代に「敬天愛人」、つまり「天を敬い、人を愛する」という信条を持った。

その後、流刑を許されて藩に戻り、薩摩軍を指揮して江戸幕府を倒すリーダーとなった。江戸を火の海にせぬよう、山岡鉄舟や勝海舟と折衝して「江戸城の無血開城」を果たした。

その後も東北雄藩が幕府側について抵抗したが、それらも西郷が鎮圧した。鎮圧に際し、西郷は相手に武士としてのおおらかな対処をした。これについてはのちに述べる。

西郷は、明治新政府の重鎮となったが、朝鮮半島への進出について新政府要人と意見を異にして、新政府から下野した。

薩摩に戻って学校を作り、次世代の教育に当たろうとしたが、時を同じくして西郷のもとに不平武士が集まってきて、結果「西南の役」となった。

西郷は戦の前に、一通の手紙を明治政府に送っていた。「今般、政府へ尋問の筋これあり」と「政府に言いたいことがある」とだけ書いた。

西郷が言いたかったのは、「武士たちもかわいそうではないか。武士も時代を目一杯生き、努力をした人間ではないか」ということであった。

身分の分け隔てなく万物に対する愛、すなわち「仁」を貫こうとした。

西郷の周りにいる武士たちも含めてすべて愛する価値のある者たちであるとの渾身の叫びであった。

そして、明治新政府と反逆軍として戦った「西南戦争」のリーダーとなってしまった。

(つづく)

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古川裕倫の「いろどり徒然草」6月号

部下にモノ言えないシンドローム
~日本企業の基本の基本がおかしくなってきている~

「部下を”キチンと”指導していますか?」という問いかけに、どれだけの人がYESと答えられるだろうか。

知り合いの企業経営者の悩みのいくつかは、「ポワーンとした社風」についてである。どこか危機感が薄く、現状に満足してぬるま湯に浸かっている。変化を嫌い、イノベーションをしない。

確かに社員自身も改めるべきだが、どうやらマネジメント側にも責任はありそうである。

「しない・できない」の理由に、「忙しい」がある。では、ポワーンとした社内のその「忙しさ」とは何か。

その正体の1つは、相手にモノが言えないために起こる、コミュニケーション不足であるとわたしは思う。例えば、求める仕事の質はどれくらいか、納期はいつか、などの必要な情報が共有できていない。同じミスを繰り返す部下に、指摘ができない。 常日頃から、正しいことと正しくないことについて指導ができていない。だから、社内はいつも右往左往する。ロスが増え、どんどんどんどん「忙しく」なる。「忙しい」から、チャレンジが減る。ますます社内はポワーンとする。

生産性高く仕事を進めるためには、社員一人一人が当たり前のことを当たり前にできることが大切である。それにはコミュニケーション、つまり、マネジメント層からの適切な「指示」や「指導」が必要だ。知らない人にはきちんと教え、気付かない人には言って聞かせ、時に叱り、仕事の厳しさも教えなければならない。仕事に緊張感を持たせ基本を徹底させることは、マネジメント層の責務である。

それができないのは、能力が不足しているからではない。多くは、「部下にモノが言えない」と言った基本姿勢に問題がある。部下と向き合わず、腰が引けている。部下から逃げているとも言えなくはない。

「三遊間のゴロをとりに行け」とは、以前お世話になった経営者の方がよくおっしゃっていた言葉だ。三遊間のゴロとは、野球で三塁手とショートストップ(遊撃手)の間に落ちた球のことだ。自分もとれるが、向こうの選手もとれる。自分が飛び出してうまく拾えればいいが、失敗すればひんしゅくを買う。つまり、できればとりたくない球であるが、そう言う球(仕事)こそ積極的にとりに行きなさい、というのが彼のメッセージだ。部下には耳の痛い言葉だが、ことあるごとくそう発信される。だから、部下も嫌な仕事から逃げない。逃げないから、鍛えられる。

もう30年は経っていると思うが、「コーチング」が大ブレークしている。プロスポーツ選手の育成に由来する指導方法で、上手に活用できればその分大きな成長を期待できる。

昭和のスパルタ教育時代も終わった。「うさぎ飛び」や「水を飲まずに運動せよ」などはただの精神修養だけで、医学的根拠はないことが分かっている。前のメルマガでもご紹介したように、1980年代には「堤義明が語る 休日が欲しければ管理職を辞めよ」と言うタイトルの本もあった。今こんなことを言えば「ブラック企業」のラベルが貼られて大問題となる。「パワハラ・セクハラ」への理解・関心も高まっている。

しかし、はき違えてはいけないのは、「セクハラ・パワハラをしないこと」と、「部下を甘やかすこと」は違う。人材教育には時に「叱ること」も必要なのに、コーチングという名のもとに、猫も杓子も「君ならどうしたい」という風潮もある。確かに、それなりの人を鍛えるにはコーチングは効果的だが、ほどんど知識や経験のない新人や若手の場合は、ティーチングによって指導する方が効率的だ。相手にヒントを与え気付きを待つやり方も自発性を養う意味では悪くはないが、それにかかる時間も考えなければならない。常に競争環境にある企業は、社員教育にもスピードと生産性が求められる。どうすれば短時間で新人教育を行えるのか、アドラー心理学論者に聞いてみたい。大企業の人事担当なども「叱らずに褒める」ばかりの研修しかできないと首を傾げている。

要は、セクハラ・パワハラやコーチングを楯に、本来行うべき「指導」から、上司が逃げているのである。「余計なことを言って嫌われたくない」という安易な考えもあるのかもしれない。しかし、自分大事は二の次で、マネージメント層が考えるべきは、会社であり、部下である。

「モノが言えないポワーンとした」日本企業は、世界に置いていかれる。既に多くのグローバル企業が日本で活躍しているが、明確なJob Descriptiionや評価基準を持つ彼らの仕事ぶりはシビアである。コミュニケーションは日本よりずっと簡潔明快・率直なものであり、優秀な企業においては360度評価制度も導入している。マネージャーは同僚や部下から評価され、より多くの指摘やアドバイスを受ける。自分かわいさで仕事をしている場合ではない。より高い成果を出すため、お互いに言うべきところは言わねばならない。

そもそも日本は、控え目というか、思うところを察して欲しいという雰囲気がある。曖昧でモノ言わぬ「腰抜け・腑抜け」のままでは、生産性は上がらない。働き方改革は、日々のコミュニケーション方法を見直す良い機会かもしれない。

上司や先輩は、多くの場合先に退職する。だからこそ、残される部下を過保護にしてはいけない。後で困るのは部下である。これは、親と子の関係でも同じだ。つまり、福沢諭吉のいう「独立自尊」である。

モノを言い合ってでも会社を良くしたいと思う若手も、叱ってくれる上司から学びたいと考える後輩も、大勢いる。むしろ、最近の若手はキャリアについてしっかりとした考えを持っている。転職や独立にどんな経験が必要かも頭の中にあり、成果を出せるようになりたいと前向きである。エスカレーターで上がってきた(我々)昭和人とは違う。中にはちょっと言われてヘコむ者もいるかもしれないが、多くはアドバイスや厳しさを次への肥やしとして成長していく。

「本当の優しさとは厳しさも含む」という、一見時代錯誤とも見えるイノベーションが必要である。過去、自分に気付きを与え、成長させてくれた人はどんな人だったか、振り返ってみてはいかがだろうか。

「今嫌われても将来感謝される上司」、「ピシッとモノ言えるマネジメント」になろう。

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